Formula 1 : GP DiaryUpdated on Aug. 20th, 2000.

第12戦 ハンガリーGP

 今GP開催時、筆者はザウバーのお膝元とミハエル・シューマッハが家を構えているスイスで過ごしていた。スイスではドイツ語・フランス語などが公用語として使われているが、GP開催時はドイツ語圏にいた。EUROSPORTSやRTLというテレビ局で、金曜日のフリー走行が放映されていた。ドイツ語がこれっぽっちもわからない筆者は、英語の字幕スーパーだけでなんとか状況をつかんでいた。フリー走行中の各マシンはほんとに挙動が乱れてた。とくにフェラーリがマクラーレンとやっとのことでやり合っている感じが、ひしひしと伝わってきた。

 予選の方は出かけててちゃんと見られなかったが、どのニュース番組でも予選の模様を放映していたので、何度もトップ6を頭に焼き付けることができた。

 F1の予選セッション後、F3000がF1の前座として行われていた。スリックタイヤを履いていたが、トロトロした加速感が画面で見て取れた。また、選手が1人もわからなかった。F3000マシンが走った後は、ラバーが路面に載るので翌日の決勝は少し速くなるのではないだろうか。

予選

 久しぶりに、ミハエル・シューマッハが神がかって見えた。他の人がどうやっても追いつかないからだ。でも、ミハエルに神が宿ったのは1回目のアタックだけで、2回目以降は普通の人間だった。決勝のスタートはしっかりやって欲しいな、ミハエル。

決勝

 またしても、ハッキネンがウルトラ・ジャンプスタートを決めた。それのおかげで、ミハエルは2位後退。そして、そのまま置いて行かれた。たとえミハエルがハッキネンを押さえ込んでいても、ミハエルは2位にならざるを得なかったかもしれない。が、あそこまでの差をつけられることはなかったのではないだろうか? たぶんピットストップを機に順位が入れ替わっていたのだろう。

 フェラーリの速さを表すバロメーターはミハエルのタイムや挙動ではなく、もう一人のドライバーのタイムや挙動だ。バリチェロがラルフを抜いてからあまりタイム差をつけられなかったことを考えると、それほどウィリアムズと差がなかったことになる。ということはシーズン終盤に来て、フェラーリの車の開発がマクラーレンに大きく水をあけられていることになるような気がする。

成績やレースの経過など詳しくは、F1 TodayDaily F1へ。

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