Updated on Oct. 1st, 2001. |
1日目
大門駅から竹芝桟橋へ急いで歩いた。9:30には乗船券を引き替えて、ニューピア竹芝(桟橋前のビル)にあるampmで買い出し(船の中で値段が高いことが予想される食堂でとりたくないし、高いジュースも買いたくないから)。
おがさわら丸に乗り込んで、自分の毛布のところに荷物を置いてすぐに外のデッキに出た。それからしばらく、外の景色を楽しんだ。
船内客室の自分のところに戻ってみるものの、窓がひとつもなく居心地が良くないので、昼食・本・カメラ・日記を携えてデッキのベンチに座って午後を過ごした。 13:00くらいに東京湾外の太平洋に出た。台風が小笠原諸島の東の方に接近している影響もあって、波が高い。船の上下運動が激しくなった。船内の案内板で台風が到着翌日に父島に最も接近することを知った。
八丈島を通過しながらの夕暮れを見届けて、船内の自分の毛布に戻った。
船酔いはとくにしなかったが、夕食直後に少しめまいがしたのですぐに寝た。
2日目9:00くらいになって、小笠原の北の方の島々、聟島(ケータ島)諸島が見えてくる。
船内放送で到着が10:40と、予定より50分早いことが告げられる。さらに、おがさわら丸は東京へ向けての出発を17:00→14:00に変更、母島行きの“ははじま丸”は欠航となったことが知らされる。全て台風の影響のようだ。
船を降りて、すぐに宿泊予定の美空荘の方とお会いする。もともとの宿泊の予約は筆者だけだったようだが、ははじま丸欠航で足止めを食った人たちも数名宿泊することになった。 ワゴン車に荷物とともに乗り込んで、宿へ向けて港を後にする。と、すぐに宿に到着。大村という町は、端から端まで歩いても10分かからないくらいの小さな町だ。
しばらく宿でゆっくりし、お昼頃のニュースで台風情報を確認して、宿を出る。宿泊助成金の申請、おがさわら丸の見送り、昼食を摂るため、散歩に。
おがさわら丸が東京へ帰ってしまうと、なんだか寂しくなる。帰りたくても帰れないからかな。予定では翌々日に来ることになっていたが、来たのは帰る日(6日後)だった。
島での食事は、できるだけ島の特産物を使ったものを食べたいと思っていた。島に上陸して初めて口にしたのは、島トマトとツナのパスタだった。それを食べたブォーノ・ホライズンは、島唯一のイタリア料理店。2階にあって、見晴らしがよかった。 昼食の後、二見漁港を通り、境浦あたりまで散歩を試みる。島のメインストリート湾岸通りをつたってひたすら歩いた。道路脇に生えている植物は、南国特有のものが多い。
結局、ビーチサンダルで歩いていたので足が疲れて、境浦にたどりつく前に海洋センターで引き返した。 帰り道は戦没鎮魂碑を観たり、大村トンネルをくぐって下校する地元小学生に出くわしたりした。 宿への帰りがけに大村海岸の様子を見に行ったら泳いでいる人たちが多少いたので、筆者も宿で着替えて泳いでみることにした。大村海岸は台風接近のため、また曇っていたので透明度はさほど高くなかった。底には珊瑚が生え、岩場が多少あり、砂地もちらほら。なまこがちょっといたり、黄色や銀のカラダに黒の縦縞が入った熱帯魚がいたりした。 海岸で泳いでいるうちに雲が厚くなって、再びスコール。ずぶぬれになりながら、急いで宿に帰った。宿に入るとすぐにやんだ。(悔)
夕食に出る前に、翌日1日分の食事の用意をした。そう、筆者の泊まっている宿は素泊まりonlyで、メシが全く出ないんだ(あえてそういうところを選んだんだけど)。近くのリカーショップ沖山や、おが丸入港日と台風前があいまって大にぎわいの小祝商店で買い物を済ませた。 買い物したものを宿に置いて、宿のある通り沿いすぐそこにある丸丈食堂に入る。ラーメンや揚げ物定食などを出している普通の食べ物屋だけど、店頭の日替わりメニュー“島まぐろ”の文字に惹かれてそこで食べることにした。内地で食べるまぐろの刺身よりも、新鮮に感じた(食通でもない筆者の感想)。
|